クラフト メルクリンとミニチュア模型制作の専門店

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Reported by Y.Miyake/CRAFT at Potsdam Germany
今日は朝から、駅の方がなにやら騒々しい...S7番線Griebnitzsee駅は、ポツダム市(ブランブルク州)とベルリン(ベルリン州)の境に位置します。となりのWannsee駅はもうベルリン市内に入ります。私の住まいはこのGribnitzsee駅からわずか徒歩3分の距離。普段はポツダム大学の学生以外降りることのない駅なのに...と思いつつデジカメをもって出かけました(写真1)
写真1
(写真1)
私の利用駅、SバーンGriebnitzseeの駅前
写真2
(写真2)
制服姿のSバーン職員
写真3
(写真3)
Sバーンのインフォメーションカー
駅前の広場は人でにぎわっています。屋台のソーセージを焼く匂いがただよい、デキシーバンドも登場。陽気な音楽を奏でています。特設テントでは、Sバーンや鉄道に関する本、バッジ、絵葉書なども販売されるお祭り気分。制服姿のSバーン職員も今日は子供に風船をあげる係りです(写真2、3)。絵葉書を求めたついでに尋ねてみると、今日はWannseeとGriebnitzsee間を東西統一後初めてSバーンが走って、ちょうど10周年目にあたる日との事。なるほど、ベルリン市内では1990年に東西を結ぶSバーンが走りましたが、Wannsee(旧西ベルリン)とポツダム(旧東独)の間には1992年4月2日になって、ようやく第一便が運行されたというわけ。店のおじさんが「この先にSバーンの博物館があるから行ってみなさいよ」というしきりに勧めてくれたので、我家の近くにそんな場所があったとは...とつくづくわが身のアンテナの低さを思いつつ博物館を訪れました(写真4、5)
写真4
(写真4)
博物館の入り口案内看板
写真5
(写真5)
博物館入口に置いてある、乗り場表示
写真6
(写真6)
切符印刷機、たのめば実演もしてくれる
館内はあまり広くなく80平米ほどのフロアには鋼鉄の塊が無造作に置いてあります。よく見ると、それらはかつて現役で活躍していたSバーンの模型であったり、駅の構成物でした。写真6は、かつての切符印刷機。窓口で行き先を言うと、駅員さんがその機械で「じゃーっ」と一枚刷ってくれ、行き先に目盛りをあわせて、「Wannseeまで大人1枚」、「ハイ、じゃーっ」というあんばい。次の写真7の機械はもっと画期的なものでお金を上から入れると、下からおつりと切符が出てくる。今の自動券売機と違うのは、行き先によってお金を入れる場所が違うということ。これには驚きました。写真8はSバーンを操作するギア。右にひねると前へ、左へひねると後ろへ...これなら私にも出来る?意外に簡単なものでした。
写真7
(写真7)
切符の券売機
写真8
(写真8)
Sバーンを操作するギア
写真9
(写真9)
館内に設けられた鉄道模型のコーナー、う〜んこれは何ゲージかな?
館内には、鉄道模型を売るコーナーもありました(写真9)。HOゲージがほとんどでしたが...よいアングルを探してデジカメでアングルを試行錯誤していると、売り場のおじさんが「あんた、どこから来たの」と。周囲を見渡すと、模型を吟味しているのは男性や子供ばかり。女性で、しかも外国人のお客さんは珍しかったのかもしれません。「日本からです。でも、今はこの駅の裏に住んでいます」、「そう、じゃあこれをあげよう」。手渡されたのは、ベルリン名物の黄色い二階建バスでした。元来陽気な私はとてもうれしくなって誰かに声をかけてみたくなりました。外に出ると、サイクリング姿のご夫婦がいたので、なんとなく「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねてみると、ぶっきらぼうだったけど承知してくれ、緊張の面持ちでパチリ(写真10)
写真10
(写真10)
サイクリングの帰り、催しに立ち寄られたご夫婦
デジカメの写真を見せてあげると、案外気に入ったらしくて「一枚印刷して送ってくれないか」とリクエストされました。ご夫妻の住所は家の近くでした。近所同士で話もはずみ、今度お茶に招待されちゃいました。最初のはにかみと、打ち解けた後の人懐こさは、おそらく地(東)の人だなと思ったりして...おじさん、おばさん、ネット掲載させていただきましたよ〜たぶん見てませんよネ?〜
さて、私はドイツに来て、様々なかたちで「東西ドイツ統一10周年」を経験しました。「壁の崩壊から」、「ポツダム大学ができてから」、「Sバーンが再び開通してから」などなど...西と東ではまだまだ理解の不一致や経済的な落差もありますが、それでもお互いのフラストレーションに持ちこたえつつここまでやってきたのです。そしてそのような社会の中で、皆さんが手中にされているメルクリンやおおくの商品が育まれてきた事を、どうか頭の片隅に置いて下さいね。また、私は外国人としては大切にされていると感じています。これは歴史的にベルリンが国際都市で、昔から外国人が多く住み、したがって「よそ者」に対しての免疫力が強いおかげだろうと解釈しています。とても有難い事です。
(取材〜文章・写真/Y. Miyake、編集/T.Sakamoto)
では次回6月の更新まで... 皆様のご意見もお待ちしてます。 Mit herzlichen Gruessen,Y. Miyake
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