クラフト メルクリンとミニチュア模型制作の専門店

写真1
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Reported by Y.Miyake/CRAFT at Potsdam Germany
●混在と調和のポツダム
今回はウチネタですが、わたしの住む町ポツダムをみなさまに紹介します。これがポツダムの中央駅(Potsdam Hbf.)です(上写真1)。この大きなファサードつきの駅ができたのは1999年9月のこと。わたしがポツダムに来た1998年当時には、ここには寒々しい剥き出しのプラットホームがあるばかりでした。東ドイツの時代、この駅から延びる線路はWannsee方面(西ベルリン)へと続いていたので、ほとんど利用されることなくさびれていたのです。東西ドイツが統一した後、この駅の建設をめぐって大きな議論がありました。建設賛成派は観光都市としてのイメージアップと、この駅に入る商店に観光客がもたらす収益を建設賛成への理由にしました。これに対し建設反対派は、この駅の建設によって町の景観が損なわれるとして賛成派と対立。ポツダムはサンスーシをはじめとする公園や城の他、町の景観そのものが世界遺産に指定されており、駅の建設によって世界遺産登録を剥奪されるおそれがあったのです。世界遺産の登録を抹消されたとあってはポツダムのイメージは逆にダウンし、世界遺産の呼び声なくして観光事業は成り立たないというわけです。
●アルターマルクト(Alter Markt:旧市場)
写真2
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写真3
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写真4
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写真5
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駅のファサードを通して見えるバス・路面電車のターミナル(写真2)。ここから路面電車にのって(写真3)市の中心部へ出ていきます。アルターマルクト(旧市場)と呼ばれる、このあたりは第二次世界大戦が終わるまで、町のひいてはプロイセンの中心部でした。緑の大きなドームはニコライ教会です(写真4)。この教会をとりかこむように旧市庁舎、王の居城であったStadt Schloss(空襲で焼ける前のもの、写真5)、そしてGarnisonkirche(軍営教会、空襲で焼ける前のもの、写真5-1)がありました。ポツダムもベルリンやその他の多くの都市と同じように大きな空襲を受け(ポツダムの空襲は敗戦のわずか二週間前)ニコライ教会のドーム部分は陥没し、この広場にあったその他の建物も瓦礫と化してしまいました。戦後、ニコライ教会のドームと旧市庁舎は再建され元の姿になりましたがStadt Schlossと軍営教会については再建が待たれました。とりわけ軍営教会については建設か、取り壊しかをめぐって長い間議論が戦わされました。ニコライ教会のように復興作業がすすむ建物を尻目に、この教会は1958年に最終的な建物の取り壊しが決定されるまで、無残な姿をさらさねければなりませんでした(写真5-2)
写真5-1
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写真5-2
(写真5-2)
写真5-3
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この教会はプロイセンのフリードリヒ大王(現在はサンスーシ宮殿の敷地内に葬られている)、その父のフリードリヒヴィルヘルム一世が眠る教会として、プロイセンと名残が深いだけでなく(専制主義の名残というだけで、共産主義のイデオロギーに反するものとして標的になった)、ナチスドイツとも深く結びついていたためです。この教会は、ナチスドイツが政権をとった後、はじめて帝国議会を開いたという象徴的な場所でもあったのです。ナチスドイツはプロイセンの王らが眠るこの教会で帝国議会を催し、自らをプロイセンの正当な継承者であることを内外に印象付けようとしたのです。この関連で、ナチスドイツが自分達がとった政権による国を「第三帝国」と名づけたことは有名なところです。こうしたいわくつきの建物ですから、この建物を復活させることは、ナチズムが復活するのではないかという周辺諸国の不安をあおり、ひいては(東)ドイツの国際舞台への復帰を遅らせることになると政府は考えたのです。一方、国内の事情としては深刻な住宅事情への配慮がありました。わたしの友人の語るところによれば、公営マンションの一室に住むには最低でも結婚していることが条件で、独身の一人暮らしはまず望めなかったといいます。それほど住宅不足が深刻だったということで、人の住めないような施設に土地を残しておく余裕はない、という点で市民と政府とが理解の一致を見たようです。今日でもポツダムには東ドイツの時代に建てられた画一的な超高層マンションが見られますが(写真5-3)、現在ではこの時代の都市計画のずさんさを反省する声がほとんどです。ポツダムは目下、旧東独時代に自粛されていたプロイセンの建物を復興する工事がラッシュを迎えています。町のあちこちで古きよきポツダムを取り戻すための工事が見られます。こうした動きのなかで2000年にはStadt Schlossの再建も決まり、現在一部の工事が始まっています。この工事には莫大な費用がかかるだけではなく、路面電車などの線路が遮断されてしまうため交通にも大きく影響するはずなのですが、それでも市民の大多数はこの城の再建に賛成だそうです。
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