クラフト メルクリンとミニチュア模型制作の専門店

オーバーヴァルト(Oberwald)駅を出ると、列車は長いトンネルに入ります。この現在フルカトンネルが走っている、オーバーヴァルト・レアルプ(Realp)の区間こそ、氷河急行最大の難所だったところでした。1982年にトンネルが開通するまで、この区間は冬季は雪崩が発生するため、雪解けまで運休していたということです。またトンネル開通以前には、標高2160mのフルカ峠を越える地点でローヌ氷河の先端を望むことができたため、「氷河急行」の名の由来となった区間でもありました。通年に渡る峠越えを可能にしたトンネルでしたが、一方、このことによりローヌ氷河は氷河急行の車窓から姿を消すことになってしまいました。失われた雄大な車窓を惜しむファンが、90年代からこの路線を復活させる運動を続け、ベトナムに一度売却された蒸気機関車は再びスイスに呼び戻され、オーバーヴァルト・レアルプ間を観光用の蒸気機関車が走ることになりました。(予備知識:氷河急行開通当初の1930年、VZ鉄道(後のBVZ鉄道)とRhB鉄道ではすでに電化が行われていましたが、このフルカ峠の区間を運転するFO鉄道(現在はBVZと統合してMGB)では、蒸気機関車が用いられていました。1947年に全区間の電化を果たした後、利用されていた蒸気機関車は、いったんベトナムに売却されました)
写真17 写真18
写真17 写真18
フルカトンネルを抜けると、高い山が聳え、ロイス川がごうごうと流れる丘に出ます(写真17)。11時38分、定刻どおり目的地のアンデルマットに到着しました(写真18)。帰りの列車が出発する14時8分までは時間があるので、ロープウェイで2202mの展望台、グルシェン(Gurschen)に登ってみました。眼下には下車したアンデルマットの町が見え、その左にはレアルプ、フルカトンネルへと続く氷河急行の線路が延びています。右には氷河急行の海抜最高地点であるオーバーアルプパスヘーエ(2033m)を目指すぐにゃぐにゃ道が見えます(写真19、写真20)。
写真19 写真20
写真19 写真20
勾配図からもお分かりかと思いますが、ここアンデルマット(1436m)からオーバーアルプパスヘーエへの勾配は、氷河急行の路線中でも最大級。写真のように、自分のはるか頭上を列車がこちらに向かって走ってくるのが見える!(写真21)列車は、そんな勾配をものともせず、するすると降りてき、やがて私たちの待つプラットホームに姿を現したのでした。
写真21
写真21
さて、帰りの列車(日本人を満載している)の中で「世界一のろい特急 (der langsamste Schnellzug der Welt)」について再考して見ました。氷河急行と同じ区間を各駅停車で走る鈍行列車と比べれば、氷河急行は文字通り立派な「特急(Schnellzug)」である。しかし、ままある世界の名特急と比べれば、同じ距離を走るのにこれほど時間がかかる鉄道もない。この意味で氷河急行は「世界一のろい特急(der langsamste Schnellzug)」ということになる。しかし、この自嘲的な名称をまったく意に介さないどころか、それを口にするとき人々の顔が輝くのは、無論、氷河急行が他の列車が成し得ない偉業、つまり「アルプス越え」をできる唯一の特急列車だからでしょう。この強靭な脚こそ「速さ」など到底およびもつかない価値なのであり、ここでこの「世界一のろい特急(der langsamste Schnellzug)」は同時に"Na, und? Kannst Du dann dies auch leisten?"(だからなに?じゃ、君たちにもこんなことができるっていうのかい?)という、自信の裏返しの意味につながってくるわけです。また、人が長年にわたり自然に挑み、その末切り開いた鉄道の車窓は、人の手で飼い慣らされていない荒々しい自然そのもので、こんな自然を車窓に収めているのもおそらく、この特急だけではないでしょうか。それこそ速く走ってもらっては、魅力も半減の氷河急行。どうか皆さんも、ゆっくりと流れる車窓の一つ一つを心に刻み付けてくださいね。
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